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丹を鍛える

丹を鍛えるとは丹田の容量大きくすること。肝(丹)が据わると言うことである。

古来から釈尊像や仙人を描いた絵画は下っ腹が膨よかに表現されている。これは丹田の大きさ(気の充実感)を表している。

かと言って己の下っ腹の出てきた事を喜んではいけない。それはただの贅肉かも(笑)

さて、話しを本題に戻そう。丹田を養いそこに気を満たす方法は一つ。それは瞑想である。

禅宗では、只管打坐(シカンタザ・ただひたすら座る)、太極拳では站樁(タントウ・ただひたすら立つ)である。

私は陳老師から太極拳の基本となるものを站樁から学んだ。修行時代1時間は立っていた。

初心者は15分ぐらいから始めると良い。 重道

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(どう・タオ・Tao・みち)

「道」の文字が表す意味は、しんにょう()は終わりを表し、首は始まりを表す。路の始まりと終わりを表す文字である。

始まりは陽、終わり陰。

陰陽思想を基本として学ぶ道を道教と言う。道教の心身鍛錬法を導引術と言う。

導引術と武術を結び付けたものが太極拳である。

導引術の目的は丹を鍛える事である。丹とは丹田である。

丹田に気を満たし内気を運気させて行う動作が太極拳技である。この技の繋がりを連綿に行う道を套路と言う。

套路には始まりがあり終わりがある。  重道

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ラカンさん

及川羅漢・ラカン(本名清、1901年生まれ~1988没年87歳 旧、財団法人健康普及会会長)と言う人物をご存知でしょうか、生涯を健康普及活動に捧げた人物です。

彼のスローガンは、「全身顔にせよ、笑いは健康の泉」。

顔はどんなに極寒の中でも素肌で耐えられる。

薄着は健康につながる。

笑いは心と体を健康に保つ。

この事を自ら実践して歩いた人である。

img016外出時の身なりは、1年365日靴は履かず地下足袋、黒の短パン(ベルト付き)、上半身裸(タスキをしている)。

タスキには、上記の文「全身顔にせよ、笑いは健康の泉」と書いてある。

この格好で全国を健康普及の為に行脚する。(彼の事はウィキペディアを始め何人かの方々がネットにて紹介している)

私は、彼の事を良く知っている。それは、私は彼の初孫だからである。

祖父との思い出は余りにも多くここでは語りつくせないが、幼いころの思い出を語ってみたい。

私は祖父と寝るのが大好きであった。寝床の祖父の体温の暖かさと、匂いを今でも覚えている。

祖父は道場(荒川区東日暮里に有り、住まいと道場を兼ね、道場はバレーボールコート一面ぐらいの広さだった)の真ん中で寝ていた。

東京とはいえ冬の木造建ての道場は暖房も無くとても寒かった。

祖父の寝床は真冬でも敷布団一枚、掛け布団一枚であった。しかし、祖父と寝ると外気の寒さは感じずとても温かった。今思うととても不思議である。

祖父は、とにかく生気に満ちていた。各地に激励(普及活動)に向かう時は常に道を走っていた。

それも、声を出して「皆さんごきげんよう、感謝にたえず、わっはっは、おいっさ、おいっさ」初めて祖父を見る人々はその声と容姿に驚く。

祖父を知っている人は声をかける「ラカンさん頑張って!」

つらい時もあったであろう、でも祖父の暗い顔を私は亡くなるまで見たことが無かった。

祖父の活動は多くの人々に支援され、数人の財界人が後援者となっていた。

私が太極拳を始めた頃、祖父はとても喜んでくれた。

道は違えども同じ健康普及に携わって行く私を見て。IMG_20170409_131252

祖父は私の名付け親です。「真」

 

及川羅漢 著書

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太極拳とは

陰と陽、静と剛、蓄と発、収勁と出勁、順纒絲と逆纒絲。相対する動きの変化を知り、その内外の動きを学ぶ武術で有る。

陰、極まれば陽となり。陽、極まれば陰となる。陰の終わりは陽の始まりであり。陽の終わりは陰の始まりである。これ則ち太極の道理である。

これは精神も同じである。

私の太極拳史考 8

陳老師の答え ③

追伸

私の太極拳史考 6、7、を読まれた方は、太極拳のイメージをどう感じたでしょうか。

そう、太極拳は武術なのです。陳一族によって作られた身を守る術なのです。

健康法として作られたものはなく、気功法として作られたのものでも有りません。まして、表演競技の為に作られたものでは決してないのです。

しかし、太極拳を武術として極める為に、その過程で行う練習方法(站樁、套路、推手、等)が、健康や養生に繋がるのです。

ですから、練習方法を選べば高齢者でも十分に陳式太極拳を学ぶ事が出来ます。現に私の教室にも80歳を超える方もいれば、真の武術太極拳を目指す若者もいます。

要するに、陳式太極拳は学ぶ人のレベルで楽しめると言う事です。

それには、指導者の正しい陳式太極拳への見識が必要でしょう。

・・・・ここで小休止・・・・

私の太極拳史考 7

陳小旺老師の答え ②

老師の答えは、

君の太極拳レベルは「二層です」。当時、私はその言葉を聞いて落ち込んだ。

老師の下で学び7年は過ぎていた。きつい練習にも耐えてきた。表演競技でも老師の弟子として恥じない成績をあげてきた。

正直、三層には入っていると思っていた。

一度は落胆したが、後にその老師の答えの意味がわかった。

太極拳の真の理解は套路の練習だけでは得られない事。今のままの練習を続けていても三層にはなれない事が。

私に足りなかった練習は、推手である。太極拳論にも有る、「套路と推手は車の両輪の如く」両方を同時に学んで行かなければならないと言う意味で有る。

これまでにも、推手の練習は行ってきた。推手を学ぶとは型だけでなく、その用法に精通しなければならない。

私は推手の習得に励む事を決心した。そして、実践推手の実力を試す中国の推手試合に出場する事を!

後に私は2003年に開催された国際太極拳年会の推手試合に出場する。その手記は、国内の中国武術雑誌「武術・うーしゅう」(現在は廃刊になった)に掲載された。後日、HP上に掲載する予定。

続いて、私は老師に尋ねた。老師は現在、何層ですか? 師に対して失礼な質問かもしれないが、当時の私と老師の間では何でも語り合う事ができた。

老師は答えた「四層」。

私はまた尋ねた。老師の知っている方で五層までいった人はいますか?

老師は答えた「陳発科(老師の祖父、陳氏太極拳第17代)」。

当時の私は陳小旺の愛弟子として自負するものがあった。

陳家太極拳伝承者としての名前(重道)もいただいた。

そして老師から送られた言葉「君は私の日本の生徒の中で一番の実力を身につけた」そしてこうも語られた。

君を私のファミリーとしと認め、君の行う事(陳式太極拳の普及活動)は全面的に支持をする

私は心からこの老師の言葉に感激し、これまでの苦労が報われたと思った。しかし、その実力は、二層。

私は、ここから再出発。三層を目指す練習を開始した。