私の太極拳史考 6

陳小旺老師の答え ①

私は陳小旺老師と1985年に出会い、1987年から個人指導を受けて来た。

そして1990年代私は様々な国内、中国表演試合に出場し、優勝、入賞を数度勝ち取った。

当時私は日本の陳式太極拳の第一人者としての自負があった。ある時、私は老師に尋ねた。現在の、私の太極拳レベルは何層ぐらいですか?

老師は言った。ーーー。

老師の答えをここで語る前に以下の五層の功夫(陳家太極拳では個人の太極拳技術レベルを5段階に表した)を一読してもらいたい。

 

 陳式太極拳的五層功夫

一陰九陽 根頭棍

第一層、剛が多く柔が少なく棍棒のよう

二陰八陽 是散手

第二層、二陰八陽・剛柔未だ定まらず

三陰七陽 猶覚硬

第三層、三陰七陽・なお硬さあり

四陰六陽 類妙手

第四層、四陰六陽・達人に似る(近付く)

五陰併五陽

第五層、五陰五陽・剛柔陰陽が完全に融合する

 

陰陽 不偏称妙手  陰陽偏ることなく達人とよばれ

妙手 一運一太極  達人が動けば太極をなし

太極 一運化鳥有  太極きわまれば無極に帰す

 

太極拳、五層の功夫

第一層は一陰九陽と呼ばれ硬い棍棒と同じである。太極拳の学習を始めた時は一陰九陽で陰陽は平衡しておらず、動作は棍棒と同じように硬い。 上半身は重く下半身は軽く、身体の平衡(バランス)がとれず容易に体勢が崩れる。

第二層は二陰八陽と呼ばれ散手(まとまりのない状態)である。

第一層程に容易には体勢が崩れないが、もしこの段階の二人が戦えば誰も太極拳で勝利をすることが出来ない。その戦いには太極拳の技(わざ)は全くなくただ力のみの子供のけんかと同じである。

第三層は三陰七陽で動作に硬さが残る。この段階になると前に述べた大圏は形成されており、動作は太極拳の規則にほぼ従っている。しかしながら動作のところどころに硬さが残り、内気の流れる量がまだ少ない。

相手の攻撃を完全に化勁することは出来ないが、硬さの残った動作で相手を投げることが出来る。

もし自転車に例えるなら、自転車に乗れるようになり、広い場所では自由に乗れるが石などの障害物があると対応できずに転倒してしまう。

この段階では外力の影響を受けて太極拳の運動規則が崩れることがあるが、第一層、第二層よりはるかに向上している。

この段階からさらに修練を重ね動作の誤差をさらに少なくし、また内気の流れが増えれば第四層に到達する。

第四層は四陰六陽で妙手(達人)に近い。

この段階になると大圏から中圏になり妙手(達人)に近い。相手の攻撃を受けた時的確に化勁して相手の動作に応じて相手を投げることが出来る。

動作は外勁より内勁が優れ、もはや第三層のような動作の硬さは見られない。

再び自転車に例えるなら、既にかなり優秀な乗り手でどのような障害物があってもほとんど乗りこなすことが出来る。

この段階からさらに修練を重ねるとやがて第五層に到達する。

五陰五陽で陰陽は完全に平衡している。

この段階になると相手の動作のいかなる影響も受けず、太極拳マークと同じく自身の陰陽は常に完全に平衡しており、動作のいかなる誤差も無い。

相手の攻撃を受けた時、防御と攻撃が自然に瞬時にして行われる。

もはや自身の身体の動きを気にとめる必要はなく、相手に触れたところが無意識のうちに自身の攻撃部位となる、すなわち全身が攻撃部位となる。

(上記、五層の功夫は拳学「太極拳の真髄」陳小旺著から一部引用翻訳したものである)

私の太極拳史考 5

日本の太極拳愛好家は何故様々な太極拳の流派を同時に学ぶのか・・・

中国武術である太極拳は日本の空手や剣術などと同様にいくつかの流派が有る。それぞれの流派は創始者、継承者が大変な苦労をして作り上げ伝承してきた。一つの流派を習得するにも大変な努力と時間が必要である。その道のりは長い。私は青年期、空手道に打ちこんでいた。その時には他流派の空手を学ぼうなどとは微塵も考えなかった。空手の世界で他流派を同時に指導している事がわかれば、その流派から破門されるだろう。これは、道を歩む者にとっては至極当然な事である。武道だけではない茶道や華道などにも同じ事が言える。

しかし、日本の多くの太極拳団体は複数の太極拳流派を同時に学び、指導している。私はこの事に大きな疑問を感じている。もちろん中には一つの流派を真摯に学び指導している団体も有る。

「山頂へ向かう道はいくつか有る。しかし、いろいろな道を歩んでいたらいつになっても山頂には辿りつく事は出来ない」

しかし、日本の代表団体は、様々な太極拳指導者を招き、まるで踊りの振り付けの如く次から次へと指導させる。その会の指導者は複数流派の太極拳が出来ることを自慢にする。

簡化24式太極拳を太極拳入門套路として普及していながら、そこに付加価値を付け段位審査などを頻繁に行っている。そして、地域の代表者は肩書きを利用して各地での勢力図を広める事に専念している。このような事が日本ではまかり通っている。日本の太極拳愛好者人口は諸外国から比べても多い方である。

しかし、日本の伝統太極拳の普及は停滞している。

そして太極拳に求道心を持つ若者が多く育たないのも事実である。この点は国際大会などに参加してみると顕著にわかる。(太極拳史考4を参照)

私は、今後の日本の太極拳発展に必要な事は、太極拳指導者が己の信じる伝統太極拳流派の道を自らが先頭になって歩む事だと思う。

続く

私の太極拳史考4

国際太極拳年会

陳式太極拳の祭典、国際太極拳年会(注1)が太極拳の故郷(注2)で2年一度行われている。陳式太極拳の競技大会である。参加者は中国全土、諸外国から集う。当会は第2回開催から度々訪中団を結成し参加してきた。この大会は回を重ねる度に規模が大きくなっていった。2IMG_0073015年の大会では、参加した私達を驚かせた。オリンピック競技が出来る規模の会場が新設されていた。会場の中心広場は壮大で有った。中央には陰陽で出来た石畳が有り、優に数千人が演武出来る広さが有る。表演競技場所は観客が1万数千人は入る体育館。競技者は大会委員会の発表では約6,000人。5日間の大会期間中入場者は数十万人。数十の国々、数百の参加団体。このような大会が2年に一度太極拳の故郷で行われていることを日本の太極拳愛好者の殆んど知らないであろう。

何故か…

大会に参加した諸外国中で競技に参加した日本の団体は当会だけであった。

何故か…

もちろん、この大会は陳式太極拳が中心の大会である。オープンニングセレモニー、フィナーレは太極拳オリンピックの祭典に相応しい規模である。20150822_214809 (2)大会期間中は名だたる老師の表演や勉強会が毎日会場内で行われる。もちろん、陳小旺老師も多数の場所で姿を見せられた。

競技参加者の多くは若者である。子供達の表演も多数。競技者に高齢者は殆んどいない、その数は外国人の中の数パーセントであろう。

何故か…

その中で我々訪中団が平均年齢を上げていた。笑い。(当会は日本の団体の中では若者が多いと思っているが)外国人の中でも今回はアフリカ系の若者が多く目立っていた。

上記三つの何故か… の答えはここではあえて語らない。これから綴る私の文章がその答えになるだろう。

注1 国際太極拳年会。各種表演競技と推手競技(推手技を使って行う格闘技、しかし、2015年の大会ではルールが大幅に変更され格闘技とは言えない試合になっていた)、名人老師表演、セミナー等が開催期間中5日間行われる。

注2 第2回国際太極拳年間は1993年9月、河南省温県にて開催された。IMG_0115

徐々に大会規模が大きくなり2000年からは河南省焦作市で大会名を焦作国際太極拳交流大会に名を変えて開催されている。中国は県より市の方が規模が大きい。陳家溝は温県の中に有る。

私の太極拳史考 3

「 福島への想い」

私は福島への本格的な普及活動の為、2000年に長年営んできた松戸市の本部道場を閉めた。

その理由はいくつか有る。

きっかけになったのは、私を招聘した福島太極拳連盟代表者Eの熱烈な誘いであった。

Eとの関連文章は個人的な事なので削除した。(2017.4.11)

福島滞在10年間は、私の陳式太極拳普及活動の停滞した期間であった。

しかし、2011年福島の同志達が立ち上げた福島陳家溝太極拳道友会と共に活動は復活した。

私の太極拳史考 2

太極拳五流派は、それぞれ創始者から代々受け継がれ、今日まで伝わってきた。私は陳式太極拳の道を一筋に30数年歩んできた。他流の太極拳を知らない。しかし、他流の太極拳を見る機会は何度か有った。それぞれの太極拳には独自の風格と基本がそこには有った。

しかし、今日日本で普及されている簡化24式太極拳には、大いに疑問を感じる。

これからの文章は私の個人的な太極拳の歴史と経験を述べたものである。

1990年代、私は度々福島市へ指導に行った。福島在住のある女性(E)太極拳指導者からの招聘によるものであった。当初、私は一つの疑問を抱いた。それは、Eの下で太極拳(おもに簡化24式太極拳)の練習を重ねてきた人々に指導し始めたころの事である。

指導中、手や腕に軽く触れ手直しをしようとすると、硬くて動かない!何故か、力が入っている。太極拳の最も大切なファンソン(緩み)が出来ていないのである。初心者ならわかるが熟練者である。これは、どうしたことか?

最初は数人だけの問題かと思っていたが、そうではなかった。外形だけに意識を使い、太極拳で一番大切な内勁を意識してないのである。見せる為の動作に意識を使っているのである。後に、その問題は指導者に有ることがわかった。これでは、身体も精神もファンソンは出来ない。これは太極拳ではないと私は確信した。

その彼らに陳式太極拳を基本から伝えるには、今までの太極拳を忘れさせなければ無理だと痛感した。24式と陳式太極拳とは別ものである。と私は彼らに伝えた。しかし、その考えを理解してくれる人は当時少なかった。

続く

私の太極拳史考 1

日本の太極拳史を考える

1972年日中国交正常化に伴い様々な中国文化と共に太極拳も日本に伝わった。その太極拳は文化大革命中(1966-1976)に健康体操として作られたものです(制定拳簡化24式)。日本では現在でもこの当時の太極拳を普及している団体が多いのです。注1(諸外国は今ではあまり普及していません)その太極拳は伝統太極拳とは程遠く異なるものです。

伝統太極拳には大きく分けて五流派(陳式、楊式、武式、孫式、呉式)が有ります。それぞれの流派には特徴、風格が有ります。そして中国武術内家拳として発展しました。各流派は陳式太極拳をルーツにしています。陳式太極拳とは、陳家溝(河南省温県陳家溝村)の陳一族によって創始されました。そして代々受け継がれ今日まで発展してきた太極拳です。すなわち陳家溝で生まれた太極拳が全ての太極拳の源流です。(続く)

注1諸外国(華僑が国の中枢をなす国以外の国)アメリカ、ヨーロッパ諸国等は日本より遅れて太極拳が伝わった関係で、制定拳24式が広く普及される前に伝統拳が普及した。今では多くの中国伝統太極拳指導者が諸外国に普及活動を行っている。