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站樁 ②

 私は時には長時間站樁を行う。肉体(外形)と内面に様々な感覚を覚える。そして一気貫通を感じる。

 一気貫通とは、丹田を中心に全身に気が廻る感覚。 

例えれば、外は岩の様に頑強で中は流動し柔らかくエネルギー()に満ちている。マグマを中に秘めた大山の様に。

 しかし、套路でこの感覚を常に持ち続ける事は難しい。

 であるから、站樁を続ける。

 小旺老師と一緒に行った站樁の時間が懐かしく思い出される。中国、日本、オーストラリア…

重道

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站樁(タントウ) ①

(注)樁の字は椿ではない、つくりの下は臼と書く。

私はよく生徒に太極拳は站樁に始まり、站樁に終わると言う。

站は中国では駅を表す文字である。その場に止まると言う意味がある。

樁は杭と同意語である。文字通りその場に杭を打ち込むように立つという意味である。

では、何故太極拳の始まりが站樁なのか説明しよう。

第一に太極拳に必要な基本姿勢が身につく。

第二に足腰を強くする。

第三に心の平静を保つ。

この三つは太極拳への準備式、基本である。

但し、この事を身に付けるには、毎日継続して行う必要である。3ヶ月ぐらい続けると徐々に身に付くようになる。半年も続けると内面に変化を感じるようになる。丹田に気が落ちてくる。

これらの事を套路だけで身に付けるのは困難である。当会加盟団体教室では必ず授業の最初に約15分の站樁を行う。時には30分行う時もある。

余談であるが、当会教室に時には他の団体で長年学んでいる人が入会する。始めに站樁を指導すると初めての体験だと言う。これは信じ難い事である。

站樁についての質問で、かける時間を聞かれる。初心者は10〜15分、中級者は30分、上級者は1時間と答える。しかし、この時間はあくまでも一つの基準である。あまり時間に捉われず毎日行う事の方が大切である。

私にとって站樁は睡眠、食事と同等に大切な時間である。 重道

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日本太極拳裏面史

日本で最初に太極拳団体を創設したのは、三浦英夫(全日本太極拳協会会長)さんであろう、彼とは電話で話しをしただけであったが、日本で陳式太極拳を普及しようとする熱意を強く感じた。

彼は当時中国がなかなか外(外国)に出さなかった陳小旺老師を1985年に初めて日本に招聘した。(老師は中国太極拳界の至宝と呼ばれていた)そして東京で講習会を開催した。その模様はNHKのニュースにも取り上げられた。

三浦さんは太極拳を研究する中で太極拳の原点陳式太極拳にたどりついた。そしてそれを日本に広めたかったのであろう。

彼は戦後、初めて太極拳学習訪中団として陳家溝を訪れている。また、陳家溝太極拳四天王(陳小旺、陳正雷、王西安、朱天才)4人の老師を四天王と名ずけ日本に招聘し紹介したのも彼だと聞く。

しかし夢半ばにして、彼は他界し、その願いは頓挫した。

その後、その会の人々が拡散して様々な会を立ち上げ活動をした。

その中で石原氏が中心になり東京太極拳協会を立ち上げた。その後、この会が中心となり日本武術太極拳連盟なる会を立ち上げた。

現在では、都道府県にその活動を広げ日本の代表的団体となっている。

「武術太極拳」この名からは武術としての太極拳と普通は考えるであろう。

しかし、この会が主に普及している太極拳は文化大革命以降に作られた制定拳(簡化24式等)を中心にした太極拳で武術とは程遠いものである。表演競技主体の太極拳である。

その点を指摘すると、その答えは中国武術(長拳、南拳、等)と太極拳と言う意味だそうだ。

『と』が抜けている。いやはや何とも誤解を招く名前である。

重道

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丹を鍛える

丹を鍛えるとは丹田の容量大きくすること。肝(丹)が据わると言うことである。

古来、釈尊像や仙人を描いた絵画は下腹が膨よかに表現されている。これは丹田の大きさ(気の充実感)を表している。

と言って己の下腹の出てきた事を喜んではいけない。それはただの贅肉かも(笑)

さて、話しを本題に戻そう。丹田を養いそこに気を満たす方法は一つ。それは瞑想である。

禅宗では、只管打坐(シカンタザ・ただひたすら座る)、太極拳では站樁(タントウ・ただひたすら立つ)である。

私は陳老師から太極拳の基本となるものを站樁から学んだ。修行時代1時間は立っていた。

初心者は15分ぐらいから始めると良い。 重道

3

(どう・タオ・Tao・みち)

「道」の文字が表す意味は、しんにょう()は終わりを表し、首は始まりを表す。路の始まりと終わりを表す文字である。

始まりは陽、終わり陰。

陰陽思想を基本として学ぶ道を道教と言う。道教の心身鍛錬法を導引術と言う。

導引術と武術を結び付けたものが太極拳である。

導引術の目的は丹を鍛える事である。丹とは丹田である。

丹田に気を満たし内気を運気させて行う動作が太極拳技である。この技の繋がりを連綿に行う道を套路と言う。

套路には始まりがあり終わりがある。  重道

2

ラカンさん

及川羅漢・ラカン(本名清、1901年生まれ~1988没年87歳 旧、財団法人健康普及会会長)と言う人物をご存知でしょうか、生涯を健康普及活動に捧げた人物です。

彼のスローガンは、「全身顔にせよ、笑いは健康の泉」。

顔はどんなに極寒の中でも素肌で耐えられる。

薄着は健康につながる。

笑いは心と体を健康に保つ。

この事を自ら実践して歩いた人である。

img016外出時の身なりは、1年365日靴は履かず地下足袋、黒の短パン(ベルト付き)、上半身裸(タスキをしている)。

タスキには、上記の文「全身顔にせよ、笑いは健康の泉」と書いてある。

この格好で全国を健康普及の為に行脚する。(彼の事はウィキペディアを始め何人かの方々がネットにて紹介している)

私は、彼の事を良く知っている。それは、私は彼の初孫だからである。

祖父との思い出は余りにも多くここでは語りつくせないが、幼いころの思い出を語ってみたい。

私は祖父と寝るのが大好きであった。寝床の祖父の体温の暖かさと、匂いを今でも覚えている。

祖父は道場(荒川区東日暮里に有り、住まいと道場を兼ね、道場はバレーボールコート一面ぐらいの広さだった)の真ん中で寝ていた。

東京とはいえ冬の木造建ての道場は暖房も無くとても寒かった。

祖父の寝床は真冬でも敷布団一枚、掛け布団一枚であった。しかし、祖父と寝ると外気の寒さは感じずとても温かった。今思うととても不思議である。

祖父は、とにかく生気に満ちていた。各地に激励(普及活動)に向かう時は常に道を走っていた。

それも、声を出して「皆さんごきげんよう、感謝にたえず、わっはっは、おいっさ、おいっさ」初めて祖父を見る人々はその声と容姿に驚く。

祖父を知っている人は声をかける「ラカンさん頑張って!」

つらい時もあったであろう、でも祖父の暗い顔を私は亡くなるまで見たことが無かった。

祖父の活動は多くの人々に支援され、数人の財界人が後援者となっていた。

私が太極拳を始めた頃、祖父はとても喜んでくれた。

道は違えども同じ健康普及に携わって行く私を見て。IMG_20170409_131252

祖父は私の名付け親です。「真」

 

及川羅漢 著書

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太極拳とは

陰と陽、静と剛、蓄と発、収勁と出勁、順纒絲と逆纒絲。相対する動きの変化を知り、その内外の動きを学ぶ武術で有る。

陰、極まれば陽となり。陽、極まれば陰となる。陰の終わりは陽の始まりであり。陽の終わりは陰の始まりである。これ則ち太極の道理である。

これは精神も同じである。