36 太極の星④

会報「陳家溝」第二号 発行日1995年3月15日

陳小旺は武術名家の出身である。高祖の陳長興-陳耕転-陳延煕(曾祖父)-陳発科(祖父)-陳照旭(父)、皆、当時有名な太極拳の名手であった。

小旺は6、7歳頃から父について拳を習い始めた。一つの動作を習うのに何日もかかり、繰り返し練習させられた。一つの構えをそのまま30分も続けさせられることがよくあった。途中で耐えきれなくなり、構えが崩れると、「パンッ」とお尻を殴られる。昼間のうちに一つの動作を習得できなければ、夜、寝ずに父の練習を見習わなければならない。眠くて起きられないとパンッ、パンッと殴られ、泣いてもたたき起こされる。小旺は祖父が好きだった。なぜかというと、祖父は殴らないからだ。それに北京に行ってくると、いつもリンゴやチーズケーキなどのお土産を買ってきてくれる。祖父はよく長いキセルを手にして庭にある石台の上に腰掛け、「おじいちゃんに拳をやってみせてごらん」と言ってキセルを吸いながら、ほほえんで小旺の練習を見、ときどき立ち上がって、その長いキセルで姿勢を直してくれた。

このような家庭にうまれた小旺は、ほんとうに幸運児であった。その頃新中国は成立したばかりで、やっと生活が豊かになり始めたばかりだった。目の前に開かれた道は、太陽の光と新鮮な花に満ちあふれていた。しかし、「天には不測な風雲が起こる」。

1955年、小旺が10歳の頃、厄運が彼の家庭に降りかかってきた。土地改革による階級区分で、彼の家は「地主」と指定され、父の陳照旭は誣告(ぶこく)され牢屋に入れられた。1979年になってやっと温県人民法院による調査・確認の結果、無実であったと訂正され名誉を回復された。同時に「地主」と指定されたことも無効であると公表され、「中農」と改められた。しかしその間、小旺は「地主」の息子という重い首かせに、25年間も縛られ続けた。25年の歳月はちょうど小旺の少年・青年時代にあたり、人生でもっとも貴重な時期であった。1957年、父は冤罪(えんざい)を負ったまま、牢獄で病死した。

母は五人の子供の面倒を見るのに大変な苦労をした。小旺は農業中学を中退し、野良仕事を手伝い母の重荷を分担した。「苦労することはなんともない。我慢すればやっていける」と母は言った。彼女は理解していた、知識教養を習得できなくとも、拳だけは祖先から受け継がれてきた一族の宝物であることを。彼女は夫が連行されていったとき、夫からこう言いつけられた。「他のことならだめになってもいいが、子供の太極拳の練習だけは必ず続けさせるんだ」と。この言葉の重みを彼女はよく分かっていた。夫の懇願(こんがん)を込めたその目は、ずっと彼女の目に焼き付いている。しかし、誰に子供の教育を頼めばよいのか…。古い中国では封建観念の厳しい制約の下、陳氏太極拳の伝授にも厳しいしきたりがあった。拳は女性に伝授してはいけない、直系ではない者に伝授してはならない、長男から伝授することなどを守らなければいけない、などなど。このため練習した人は多いが、真髄を伝えられた人は極めて少ない。また、政治の腐敗や、戦乱、天災人災などが重なった結果、陳氏の拳士たちは各地にさまよい、ばらばらになっていた。こうした理由から、新中国が成立した頃、太極拳発祥の地である陳家溝には、拳を教えられる人はほとんどいなかった。

陳氏太極拳は中絶の危機に瀕していた。

1958年、全国武術協会委員の陳照丕 、太極拳第十八代は、退職して陳家溝に戻った。彼は祖先の遺訓を守って、農繁期に畑仕事をし、農閑期には拳を教えて、生きているうちに後世の子孫たちに拳を伝授しようと考えていた。ところが村に入ってみると、この70歳近い老師はあっけにとられてしまった。こんなに大きな村だというのに、ひっそりと物静かで、拳を練習している者を一人も見かけなかった。陳氏太極拳がこんな状態になってしまうとは、夢にも思っていなかった。「太極拳を我々の世代で中断させてはいけない。国や人民、代々の祖先、後世の子孫に申し訳ない」、彼は心の中で何度も自分に言いきかせた。

気が狂ったように彼は村の幹部や県の体育委員会の責任者を訪ね、呼びかけて、自費で陳氏太極拳訓練班を作った。陳さん、王さん、青年、少年、男性、女性を問わず、習いたい者は全部受け入れる。風の日なり雨の日なり、昼なり夜なり、寒い冬なり暑い夏なりにかかわらず、来た者には全て教える方針をとった。「陳氏太極拳を中断しさえしなければ、わしの肉を切りとっても、命をとってもいい」と陳照丕は言い放った。

ある日の夜練習が終わると、陳照丕は陳小旺と陳正雷を引きとめた。二人は静かに立って伯父の言いつけを待っている。伯父は手を後ろに組んで、部屋の中を歩きまわりつづける。しばらくして伯父はゆっくりと話し始めた。「太極拳は祖先が残してくれた財産だ、価値のはかれない宝物なのだ。他人は途中でやめてもいいが、おまえたち二人は違う。それをしっかり受けとめて、子孫に伝えるのだ」そう言う伯父の目には涙が浮かんでいた。聞いている小旺と正雷の小さな顔は赤くなり、四つの小さな拳がギュッと握りしめられた。陳照丕 は二人の心を見通したように続けて、「これは一朝一夕にできるものではない。おまえたちは一生かかってもやりぬく決意をしなければいけない。諺に『拳は手放してはいけない。曲は口から離れてはいけない』という。また、『一心岩をも通す、岩に立つ矢』ともいう。どんなときになっても、どんなことに逢っても、拳を捨ててはだめだ。しっかり覚えるんだ」と言いつけた。部屋を離れると小旺は「雷、君はやるか。おれは一生かかってもやるぞ」と雷にきいた。「やろうぜ、一生かかってもやろう」と雷は答えた。二人の青年は星でいっぱいに飾られた夜空に向かって誓いあった。