35 太極の星③

会報『陳家溝』第二号 発行日1995年3月15日

外国人武術家たちの中に「中国武術は身体を強める術として、また実演芸術としてはすばらしいのだが、攻撃と防御にはたいして使えないだろう。さらに、動作が緩慢で柔らかい太極拳は、もっと実践価値はないだろう」と判断した人々がいた。しかし、陳小旺はこれらの人たちを実技によって納得させた。

1985年8月下旬、技を切磋し、友情を結ぶため、世界14か国から武術の達者な者たちが西安に集まり、武術国際試合大会が開かれた。ある日の午後、三人のアメリカ人武術家が小旺の宿泊しているホテルを訪ね、技を磨き合うことを求めた。彼らは既に今回の大会のリングに登場し、堅実な基礎のある技を披露していた。小旺は断りきれなくなり、簡単に一つの構えをしてから、先に攻撃するように言った。すると、体の大きい男が拳を振って小旺の咽喉部を直撃してきた。小旺は身をかわすと肩をひと震い、「迎門靠(げいもんこう)」という技をかけた。小旺の肩が彼にぶつかった瞬間、小旺の発する声とともにそのアメリカ人は倒れてしまった。次に、もう一人が脚で蹴り上げてきたが、小旺が両手で脚を払い上げた途端、相手は重心を失い倒れてしまった。残った一人は小旺の技を見て驚き、いどむのをやめると、「不思議だ、不思議だ。真の武術は中国にある」と称賛しながら、親指を立てた。

1984年11月、40人のアメリカの太極拳学習団が鄭州を訪れた。陳小旺はその学習団の求めを受けて、省の体育館で太極拳の表演を行った。その中の一人、武術家のローレンスが太極拳「単鞭式」はラジオ体操みたいで実用性がない、と疑問を呈した。陳小旺は彼にしっかり自分の手首をつかまえさせてから身体をひと屈みし単鞭式をすると、ローレンスはその場に倒れた。彼は立ち上がってから両手で小旺の片手をつかみ、ねじ曲げた。今度は小旺はまた腕をひっくりかえし単鞭式を行うと、彼は再び倒れた。ローレンスは納得できず、もう一度小旺の手をつかむが、小旺は軽く彼の手をつかまえ、ひと持ち上げすると彼を横倒しにした。ローレンスは立ち上がると、言葉もなく、礼儀正しく小旺にお辞儀して納得した。

1985年5月と8月に、陳小旺は二回日本を訪問した。彼は太極拳を実演し、その理論を講義したことで日本人の注目を集めた。ある日夕食をすませた小旺がレストランから出たところ、一入の日本人武術家が丁重に技の使い方を尋ねてきた。彼はもし誰かがこのように攻撃してきたら、あなたはどうするかとききながら、突然、拳で小旺の顔面を撃ってきた。そして同時に片足を小旺の股の間に差し込んできた。その拳は強く、足も速い。一撃で小旺を倒そうとした。しかし、小旺は慌てることなく相手の手を外へ払いながら身体を震わせ、相手を投げ倒した。彼は起き上がると、感服した表情で小旺に深くお辞儀し、これから一生懸命に太極拳を学ぶことを誓った。

もうこれ以上例を挙げる必要はないだろう。陳小旺は度々、武術交流や腕試しを受けてきた。国内外の武術家が明言して攻撃するなり、突然に襲撃するなりしても、その都度余裕をもって相手を心服させてきた。称賛の手紙は世界各地-日本、アメリカ、シンガポール、カナダなどの国々から、次々と小旺のもとに寄せられてきた。「先生は身体の内部から発した力で、我々に真の太極拳とは何かを教えて下さった」「先生は太極拳の精霊であり、武術の化身である」「先生は既に当代武術界の頂点に立っている」などなど。

称賛のあまり人々は小旺に問い求めた。先生はどのようにしてそこまでたどり着いたのか、秘訣は何かと。そうだね…自分はどのようにして練習してきたか…、秘訣はどこにあるか…。陳小旺は自分に問いかけた。記憶の水門を開けると、昔のことが源を遠く長い黄河の水の如く流れて来る……。

Ⅲへつづく